バレンタインデーも世の中の世情を写しだす

バレンタインデーが近づいてきました。
ショッピングに出かけると、色とりどりの包装紙やパッケージが目に飛び込んできます。

本来はチョコレート会社がチョコレートの売上アップのために考えたこのイベントもすっかり定着していますが、時代とともにその解釈は変化を見せています。

本来は好きな男の子に女の子が告白するチャンスでした。
それが次第に会社の上司や男友達にもあげる「義理チョコ」が話題となり、昨年にいたっては「高級なチョコレートを大切な女友達にあげる」女子が最も多かったようです。

違いがわかる女友達に高級チョコを贈り、自分も高級チョコを見返りにもらうわけです。
または、自分用に購入する女性も多かったようです。

男性の存在自体が置き去りにされているこの状態、今年はどういう傾向になるのでしょうか。
ここ最近では、義理チョコや友チョコの他に、やたらと強引なネーミングで売上を伸ばそうと躍起になっている感じがして、少々シラケムードなのです。

もう、告白の機会と捉えるのは時代遅れなのかもしれないですね。
菓子メーカーや販売店は、どのような理由であっても、売れればいいわけですからチョコを買わせるように仕向けることが仕事なんだとわかりました。

つまりは、本質を知ることも無く、表面的なものだけを見て、行動する人々をいかに囲い込むかがビジネスの成功の秘訣なのかもしれませんね。

バレンタイン

最近の子供はどう思うのか分からないのだけど、バレンタインデーに女の子からチョコをもらうのがすごく恥ずかしかった。若気のいたりで小学生くらいって冷やかすもんです。

大人になればモテるってことは立派なステータスだし、これ以上うらやましいことなんてないのに
子供のころは恥ずかしくて照れるんです。本当は嬉しいのに。そして冷やかされる。この構図はなんなんだろうか。
忘れもしない小学三年生のバレンタイン、クラスのマドンナからチョコもらいました。
もちろん意中の子だったし可愛かった。舞い上がってしまいどこでもらったかすら覚えていないんです。
すごく嬉しかったんだけど恥ずかしいから友達には言わなかった。こっそりクッキーも買ったんだけどお返しするタイミングを逃してしまって。
内気な自分は結局お返しを渡すことができませんでした。
それからは二人の間には微妙な空気というか距離ができて、、
気まずい。
相手が意中の子だとどうも上手く対応できないみたいで、気にかけてないような女の子だと
すんなり受け取ることができてお返しもできたのに。
相手が変わってもこんなことが中学になっても高校になっても続いていたから
なんだかバレンタインが鬱に思えるようになって今でもこのイベントは嫌いです。
ただ大人になって思い返してみるとなんだかもったいないことをしたなぁと
後悔している卑しい自分。牛のように何度も思い出を消化しては戻し、消化しては戻し。
たまにSNSで思い出の子を見てみると後悔の念が倍増します。
今ではシャシャリ出てしまったおなかをさすりながら過去の栄光に浸るのでした。

«
»