マラソン大会での優勝

中学生・高校生と、陸上部に所属していました。
専門は長距離です。
なんで陸上部に入部したのかと言うと、小学生の時、最後のロードレース大会で105位という不甲斐ない結果に終わってしまったからです。

誰よりも速くなりたい。
その一心で中学生から陸上部に入部しました。
中学生の頃は陸上を始めたばかりでしたので、走れば走るほど実力がついていきました。
その記録が伸びるということが嬉しかったです。
しかし、タイムは伸びるものの、『誰よりも速くなりたい』という、私の目標を達成することはできませんでした。
そんな中、中学生生活では、それなりにタイムも出て、最後の駅伝大会でも好結果を残すことができて満足していました。
高校生になっても陸上部に入りました。
各中学校から、私より速い学生が何人も入部していました。
最初はみんな、私よりも速かったのです。
私は、そんな状況に燃えて、誰よりも自分を追い込んで練習をするようになりました。
おかげで、陸上の駅伝や地区大会に、レギュラーとして出してもらうことができました。
そして、高校1年の冬に、高校でマラソン大会が開催されることになりました。
毎年の恒例行事で、10kmのロードレースです。
私は、そこで『校内では誰よりも速い』という称号を得るため、今までよりも熱心に練習に励みました。
陸上部内では、大会の話で持ちきりです。
誰が優勝するのか、という話題に華が咲きました。
私は自分を追い込むため、『絶対優勝する』と周りに盛んに息巻いて言っていました。
私は2番人気くらいだったと思います 笑
そして、いざ大会です。
結果としては、なんとか優勝を勝ち取ることができました。
その時の嬉しさと言ったら、半端ではないくらい嬉しかったです。
まさに、『校内では』『誰よりも速い』という称号を得ることができて、満足することができました 笑
でも、あんまり自分を追い込みすぎるとしんどいことも学びました。

保育園のマラソン大会の思い出

私はいわゆる運動音痴ってやつですが、それはもう幼少の頃から変わっていなくて、とにかく鈍臭い子供でした。
今日、ふと保育園の時のマラソン大会のことを思い出したので書いてみます。

私が通っていた保育園では、秋にマラソン大会がありました。
マラソンと言っても、みんなで保育園の周りを一周するだけなんですが、園の外に出て歩道を走るので、ちょっと特別な行事でした。
ちゃんと曲がり角ごとに保護者の人が立っていて、安全管理はバッチリでした。
しかし、なんといいますか、私の鈍臭さ故といいますか、実は当時の私はマラソン大会が何か分からなかったのです。
急に体操服を着させられて、運動場に集められ、何が起こるのかわからぬうちに競技用のピストルの音がパンと響きます。
そして一斉にクラスメイトが駆け出すのです。
私は、何か良くないことが起こったんだと思いました。
その場で立ちすくんでいると、先生が「走って!」と声をかけます。
「みんな待って!待ってよぉ!」と、私は泣きながら走りました。
角ごとに大人たちが「もう少しだよ」「頑張れ」と励ましてくれます。
なんで助けてくれないんだ!と憤慨しつつ、誘導されるがままに走っていると元の運動場に到着しました。
私は「一体何だったんだ」と腑に落ちない気持ちでボロボロと泣き続けていました。
ちなみに、結果は最下位でした。
そんなこともあり、私はマラソンが苦手ですし運動全般が苦手です。
ただの恥ずかしい思い出話でしたね。

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