感情と習慣
人の感情も習慣化すると思います。
一番最初に感情が習慣化されるのが胎教という時期なのではないかと思います。
その次が三つ子の魂、その次が幼児教育で、社会生活に加わりながら感情をコントロールするようになり、一応セルフコントロールしながら成長しているけれども思春期を経て、いろいろ競争があって社会人になります。
人間は全ての感情を理解できる様に成長して他に共感する様になるものですが、その感情の幅と表現に個人差があります。
個人がその感情を受け入れられたり許されたりする人的環境にも差があります。
祖母が「人の性分は変わらない。」と言っていましたが、私は『それは嫌だ。』と思っていました。
人間は野生の動物では無いから、思慮ある人間らしい人間でなければならいし、善良な人間ばかりで平和でなければ、と思っていました。
ところがやっぱり人間の性分があって三つ子の魂からの質や力関係の強弱は変わらないと見える事があります。
子ども時代の喧嘩は社会生活と人間関係の始まりだから大人が口を出すべきでは無いという話を聞いた事がありますが、現在の日本家庭のいろいろな話をみていると、それは違うかも知れない、という気がしています。
何はともあれ、マイナスな気持ちは増やしたく無いものです。
全ては考え方や捉え方なのですが、日本人の特性として他人と意見が割れることを嫌い過ぎる傾向がありますよね。
少数意見は潰されるのが民主主義のデメリットでしょうか。
人間関係とゲーム
今はゲームと言ったらオンラインゲームが主流になっている。
パソコンのオンラインゲームはもちろんの事、テレビに繋げるタイプのゲームも持ち運びが出来るポータブルゲームもインターネットに接続しオンラインで遊ばれる。
昔はゲーム機と言ったら子供の遊び道具だったけど、今は大人をターゲットにしたゲームが数多くある。
電車やバスの中でスーツを着たサラリーマンやOLがポータブルゲーム機を操作をしている姿も見かける。
少し前にすごく流行った、モンスターを狩るゲームがあった。
通常ゲームは、クリアをするものだけどあのゲームにはクリアがないと言う話だ。
私はそのゲームをした事はないし、ポータブルゲーム機も持っていないが、モンスターを狩るゲームにはまっていた友人達は、ゲームをする為に集まりそれぞれ自分のゲーム機の画面を見ながら「後ろ危ない!」「そっちお願い」などと声に出してプレイをしていた。
友達同士で一緒にプレイを楽しむだけではなく、大流行してい時は会社の上司や取引先との接待にも使われたらしい。
ゴルフと同じような感覚で、一緒にゲームをプレイすることで親睦を深めていたようだ。
インターネットに接続してプレイするオンラインゲームが、実際に友達と集まり会話をしながらプレイしたり、接待などのビジネスツールとして使用される。
オンラインゲームが誕生したことにより、ゲームの用途が広がったと言うことだと思う。
子供の遊びだったゲーム機がオフラインのコミュニケーションツールとして使われるようになったのだ。